短編集
1. HEARTLESS (8/9)
窓から現場に飛び込んだアイリスは、窓枠を蹴って侵入すると同時にそこにいた武装者の後頭部を踏み倒していた。不意の攻撃を受けて前方に転びかけるそれを踏み台に跳躍、床に着地することなく隣にいた武装者の両肩を掴んで膝で顎を蹴り上げる。鈍い破壊音が膝の金属部と音を立てる。
「な、何だ!」
「例のhIEだ!」
「もう来やがったのか!」
ざわざわとくぐもった声が部屋の中に充満する。それらを無視して、アイリスは部屋の奥へと突進した。カールトンを両脇から押さえ込んでいた男二人のうち片方の眼前へと瞬間的に移動、頭突きで昏倒させると同時にその手から銃器を奪い取る。そしてくるりと身を返して反転、もう一人へと銃器を投げつけた。銃を持ちカールトンを掴んでいた男は、手で防御することもできないままそれを顔面で受け止め、後方へと倒れる。カールトンの腕を引き、守るようにその体を抱え、アイリスは部屋の奥へと床を蹴って退いた。
部屋を見回した薄桃色の虹彩が電光を帯びて輝く。その大きな目に、襲撃者達に取り囲まれている現状が映り込む。
「……随分なご挨拶だ」
アイリスの腕の中でカールトンが呻く。その眼帯は外され、もう片方の目からは血がにじんでいた。「オーナー」と声をかけたアイリスに「うるさい」と返しつつも、そこから動くようなことはしない。アイリスが見下ろした先に血だまりがあった。逃走防止に足を撃ち抜かれていたのだった。
アイリスの目が赤を見つめる。電光の走る虹彩が、じわりと色を濃くする。
「……内村様が本土警察に応援を要請されました。高速ヘリにて移動、推定到着時間は五分後です。襲撃者人数は二十人、屋敷の外にも十名程を確認しています。迎撃するにはここは狭く、洋館の損傷及びオーナーへの被害は免れません。階下へ脱出するには二十名中十五名を撃破する必要があります、こちらもオーナーへの被害はゼロにはできません。警察が来るまで程よく立ち回り彼らを足止めし、時間を稼ぐ方法を提案いたします。ご判断を、オーナー」
「殺せ」
アイリスは口を噤んだ。
「殺せ」
カールトンは再度告げた。
「……できません。私達は人間を必要以上に傷害できません。ロボット工学三原則にて禁止されています」
「壊せ。全部、全部……もうたくさんだ」
カールトンが己の目を掴むように手を当てる。その下から赤い血が涙のように頬を伝って落ちる。
「何もできないまま死なれて、異国に飛ばされて、義眼だなんて誤情報をリークされて襲われて……こんな目玉が欲しければくれてやる。何だってくれてやる。もうたくさんだ。こんな世界、もうたくさんだ」
「オーナー」
「僕をオーナーと呼ぶな!」
叫び声が甲高く響く。
「僕に微笑むな。僕を呼ぶな。僕をオーナーとして扱うな。僕の感情に介入してくるな。……求めてもいないのに助けに来るな。言うことを聞かない道具なんか……大嫌いだ!」
アイリスの腕の中でカールトンは叫んでいた。その叫び声は細く高く、掠れていた。
「……殺せ」
「できません」
「殺せ! 全部全部……ロボット工学三原則が何だ! 科学が何だ! 機械が何だ! 僕に何を与えてくれるっていうんだ! ”便利”なんて使い方がわかってない人間が使ったらただの”武器”じゃないか! なら武器らしく全部ぶっ壊せ! 良い子ぶるな! 姉さんみたくぶっ殺せよ! あんたらなんか下卑た殺戮道具でちょうど良いんだ!」
ぐいとアイリスの体を突き飛ばす。上体を反らしたアイリスの前で、カールトンは眼前に立つ武装者達へと前髪を掴み上げて顔を晒した。
「来いよ、取りに来いよ! これは義眼だ、それも高性能最先端技術の義眼だ! この島一つ買い取れる! 奪って売って大儲けしてみろよ人間共!」
カールトンの煽りに、立ち尽くしていた武装者達が動き出す。アイリスが呆然と目を見開き、目の前で発された虚言を、それに含まれた意図を理解して顔を歪ませる。
「オーナー、何ということを……推定未来が変更されました。襲撃者の予測行動が変化、脱出も時間稼ぎも不可能です!」
「じゃあ守ってみせろ!」
怒鳴り、カールトンがアイリスを見上げる。乱雑に掴み上げられていた前髪は乱れ、その下で見開かれた灰色からは透明な雫があふれ、赤と混じって濁っていく。
「守ってみせろよ! あんたが人間には扱いきれない”便利”だってことを世界に証明してみせろ! こんなもの作っちゃいけなかったんだって証し立ててみせろ! 自分の有用性を暴力で証明してみせろよ!」
叫びが空中に消える前に、二人へと影が躍りかかってきた。顔を上げたアイリスが押しやるようにカールトンを背後へ隠して両手を広げる。肩口に大型ナイフが振り下ろされる。樹脂が飛び散り導線が千切れる。
「……ッ!」
食い込んだまま動かなくなったナイフに戸惑っているその手を掴み上げ、捻る。アイリスの手の中で骨が折れる音が数度鳴る。手首を複雑骨折させたのだ。痛みに襲撃者が喚く。手首を掴んだまま引き寄せつつ立ち上がり、その腹部へ蹴りを突き入れる。襲撃者が吹っ飛ぶ。蹴撃の威力と手首を掴む握力の間で、その腕が千切れる。
血を噴出させながら襲撃者が部屋の壁に激突する。手の中に残った人間の手をべちゃりと落とし、アイリスはナイフを右手に持った。左手は導線が切られた影響で指先が動かなかった。
「……了解いたしました」
場にそぐわない凛とした声が呟かれる。
「これより戦闘態勢へと移行します。態勢解除命令が出されるまでの間の行動責任は全てオーナーが負うこととなります。なお、私のオーナーは団体組織となっていますが、登録されていない戦闘、すなわち私的闘争における戦闘に関してはそれを命じた個人にのみ責任が発生することになります。了承されますか?」
「ああ、してやるよ!」
カールトンが叫ぶ。
「hIEという間違いを世界に叩きつけろ!」
「了解いたしました」
アイリスが腕を振り上げ、下ろす。その動作の間でその手からナイフが消え、代わりに部屋の一ヶ所で悲鳴が上がる。ナイフが投げ付けられ襲撃者の肩を壁に縫い付けていたのだ。アイリスが床を蹴る。残像すらもない移動――瞬時にナイフの柄を掴み、アイリスはそれを引き抜いた。血が噴き出す。赤が彼女の白いワンピースを汚す。
「壊せ、hIEを壊せ!」
男の声がどこからか上がる。
「そいつを壊せばあとは子供が一人だ! それさえ壊せば工場のセキュリティを落としたも同然だ!」
カールトンと工場のセキュリティは無関係だ。誤情報に踊らされているのか。
それについて思考する存在はこの場には一人もいなかった。アイリスが疾走する。血飛沫が上がる。銃声が鳴り響き、静まり、再び鳴り響き、それを繰り返されている間に彼女の胴に数発が食い込み貫通する。
それでもアイリスは止まらなかった。銃器の前にわざと姿を現し、その銃口を掴んで上向かせ、がら空きになった胸元をナイフで裂く。薙いだ腕の動きに合わせて体を旋回、回し蹴りで頭部を蹴り飛ばし昏倒させた。その一通りの動きをする間に銃声が鳴り響きアイリスを襲う。回し蹴りによって数発は回避できたものの、回転の軸である胴の中心を狙ったものはナイフで弾かなければいけない。無論それほどの動きができるわけもなく、一人を倒すごとにアイリスの服には銃器の口径と同じ大きさの穴が増えていった。導線が散る、樹脂が散る。露出した内部へさらに銃弾が当たれば体の動きへ支障が出る。
アイリスの体にはいくつもの穴が空いていた。
それでも立ち、アイリスは敵を睨む。敵意という表情を描いた顔が襲撃者を見据える。半数程度を撃退したにも関わらず、敵は後退しなかった。銃器を構え、アイリスへと警戒を見せる。ヒビの入ったナイフを床に落とし、代わりに先程倒した襲撃者から奪った銃から弾倉を引き抜き、アイリスは敵を睨み付ける。
彼らの背後――破壊された壁の向こうに立っている木に灯った反射光を見たのはその時だった。薄桃色がそれを視認し、それの飛来目的を知る。
咄嗟に駆け出す。目標物の前に立ち、そして飛来してきた金属の塊へと目を見開く。
――ガラスを破壊する大きな音と共に、その胴体を大きな衝撃が貫いた。
アイリスの背後へとそれは突き抜け、壁を壊す。洋館全体が大きく揺れる。ぱらぱらと瓦礫が落ち、それらと同様にアイリスからも壊れた部品がぱらぱらと落ちていく。
膝を床につく。そっと振り返ろうとし、できず背中から床に倒れ込む。その一部始終をカールトンは見ていた。
自らを狙ってきた銃弾がアイリスの胴を数ヶ所撃ち抜き、空洞を作り上げた様子を――それと同時に弾丸を弾倉から抜き取ったアイリスが腕の力で弾丸を投げ飛ばし残りの敵を全員撃ち抜いた様子を、見ていた。
「……申し訳、ございません」
アイリスが口を動かす。その顔の半分は銃弾を受けて樹脂が剥がれ穴が空き、内部が露出している。
「戦闘続行、できません。館内の敵戦力は、全員、戦闘不能としましたが……館外の敵は、警察に任せるしか……」
オーナー、とその欠けた唇が呼ぶ。残っていた側の目を細め、彼女が微笑む。
「私は……最後まで、オーナーの望む私でいられましたか……?」
「ああ」
カールトンは答えた。その声に揺らぎはなく、顔は彼らしく険しいものだった。
「十分だ。十分……あんたは紛れもなく、最低最悪の不要物だ」
アイリスの目がネオンの輝きを失う。そのまま、動かなくなる。それをカールトンは見下ろしていた。部屋に警官が雪崩れ込んできても、そのまま見下ろしていた。
その足がアイリスを踏みつけて目の前に立った時も、そのまま見下ろしていた。
「グレン・カールトンさんですね」
警官の声が告げる。
「ご無事で何よりでした。見たところhIEが一体損失といったところでしょうか」
「ああ」
「彼らも全員生きているようです。死人なしですね。いやあ良かった良かった」
のんびりと緊張感のない声で言い、警官が現場検証へと戻っていく。「カールトン」と内村が駆け寄って来、打ち壊されたアイリスを見て足を止める。
その一切を気にする様子もなく、カールトンは手を床へ伸ばした。そこにあった、千切れた腕を拾い上げた。最初に斬りつけられた左腕が、最後の銃弾の衝撃で外れ落ちていたのだった。
それを持ち上げた。抱き締めるように抱えた。そして。
「――うあああああああああああああ!」
雄叫びに似た慟哭が響き渡る。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei