短編集
39. 待ち遠しき夏の彼方 (1/1)
一つ、ちりんと風鈴が鳴り
二つ、子供が笑い合い
三つ、西瓜の半月皿の上
四つ、線香煙上げ
五つ、数えて手を合わす
***
「今年も暑いねえ」
と隣の畑中さんが膝を庇いつつ立ち上がって言うものですから、私も「そうですねえ」とお返しして、墓前にといただいた果物を白黒写真の兵隊さんの隣に並べるのでした。
「お盆だねえ」
「そうですねえ」
「エミちゃん、今年でいくつかね?」
「五十七にございます」
「そうか、そうか、もうそんなになるか」
畑中さんは染みの目立つ頬に皺を作って目を細めます。
「幼かったエミちゃんが、ねえ」
「あの日も、父のことも、あまり覚えておりませんで」
「そうだろうねえ」
「けれども私は大層父に可愛がられていたと母が申しておりましたので、いつかありがとうと伝えとう思っております」
「そうか、そうか」
畑中さんが「宗一郎君も喜ぶねえ」とおっしゃられたので、私は「このような婆に娘よと告げられましたら、若い父はさぞかし驚きましょうね」とお返しいたしました。
畑中さんは一際大きなお声でお笑いになりました。
***
「ばあば、おりんぴっくおわった!」
夏穏ちゃんが小さな両手両足をぱたぱたと動かして私の膝へと駆け込んできます。私は画面から顔を上げて曽孫の突撃を歓迎したのでした。
「あら、そうなのね」
「かった! にほんのひとかってた!」
「何の競技?」
「うーん、わかんない。なんか、けんかしてた。あかいおようふくのひと、ばんざぁいって」
「そうなのねえ」
膝の上でごろりと横になって両手を上げるものですから、私は思わずその丸い額を撫でてしまうのです。
「良かったねえ」
「ばあばはなにしてた?」
「お手紙書いてたのよ」
私はテーブルの上のタブレットを持ち上げて、夏穏ちゃんに見せます。
「お盆はどこにも行けないからねえ」
「花ちゃんち?」
「うん、そう。花ちゃんのおじいちゃんのお父さんとお友達だから、お線香上げに行きたかったのだけれど」
「おそとだめだもんね。でもだいじょうぶ! かのんがおばあちゃんとあそんであげる!」
夏穏ちゃんはぎゅうっと私のお腹に抱きついてきます。それが可愛らしくて、私はこの子の頭を撫でるのです。
父もそうだったのかしらと思いながら。
畑中さんは随分と前にお亡くなりになりました。長いこと、あちらで父とお酒を楽しんでいらっしゃることでしょう。奥様に怒られているやもしれませんね。
あちらに蝉はいるのでしょうか。西瓜はあるのでしょうか。風鈴はあるのでしょうか。
あちらでも赤いユニフォームの方々を応援できているのでしょうか。
そうであれば良いと私は思います。蝉の声を聞きながら、西瓜を食べて、テレビを見て、声援を上げて。
そんな日々を一度でも父と過ごせたのなら――そう思いつつ、今年の穏やかな夏も私は静かに過ごすのでございます。
解説
2021年08月10日作成
待ち遠しき夏の彼方
あの日も最早遠く、遥か遠くになりましたね。
この時期になると一つは書きたくなるお話です。忘れちゃいけないというよりは身に沁みついているという感じ。夏って人の気配が冬より多くなる気がします。雪は孤独を感じるけど、夏の熱気は気配を感じますね。
今年らしい話を何一つ書いたことがなかったので、まあ書いた方が良いかなって思ってお話の身近感を出す要素としてオリンピックの話題を入れました。ウィルスの方はいろんな方が題材にしているから私は特に書こうと思わないです。題材として魅力的じゃないし。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei