短編集
2. 冬の森のファニーニャ (3/4)
静かな森に雪を踏みしめる音が三人分、木霊することなく吸い込まれていきます。アリアーナとリアーフィがそろって歩いていく後ろを、ファニーニャはついていきました。どれほど奥へ来たでしょうか。けれどファニーニャにはまだ歌らしき声は聞こえてきません。
「あっちから聞こえた」
アリアーナが遠くを指差します。
「こっちからも聞こえたよ」
リアーフィが別の方角を指差します。二人は見つめ合い、不満げに睨み合い、けれど次の瞬間にっこりと笑い合いました。
「あちこちから聞こえるね」
「うん。……あ、今も」
「本当だ」
二人は楽しげです。その様子を、ファニーニャは後ろから見ていました。もちろん、先程から耳をそば立てています。けれど聞こえてくるのは木々の枝から雪が落ちる、ストンという音ばかり。たまに木の枝が雪の重みで折れる音も一緒に聞こえてくるくらいで、他には何も聞こえません。風の音かしらとも思いましたが、夜になるとひゅるるという甲高い悲鳴を上げて駆け回っているそれは、穏やかな昼間は昼寝をしているようでした。
静かな森。
雪の音だけが聞こえてくる森。
ファニーニャにとってここは、ただそれだけの場所です。
「男の人かな」
アリアーナが言います。
「女の子じゃない?」
リアーフィが答えます。
「高い声だし、きれいだし、前に街で見た劇団の女の子みたいな声だ」
「ふーん、そうかなあ? あたしは男の人……っていうか、ファニーニャくらいの男の子っぽいと思う。なんていうか、幅があって、そう、ふくろうみたい」
「何それ。アリアーナの言うこと、たまによくわかんない」
くすくすと楽しげに二人は話します。
「あ、ぼくわかった。ヤギの声だ」
「あんなにギエーって感じじゃないでしょ。リアーフィだって変なこと言うじゃない」
くすくす。くすくす。
笑いながら迷うことなく進んでいく二人に、ファニーニャは何も言えません。
「泣いてるのかな。少し涙声っぽい」
「違うわ、笑ってるのよ。あんなに明るくキャッキャッって言ってるもの」
「そうかなあ……ぬいぐるみをなくしたアリアーナの泣き声みたいだよ」
「何よそれ!」
くすくす。くすくす。
「あ、また聞こえた」
ふとリアーフィが一際大きな声を上げて立ち止まりました。何のことか、ファニーニャにはわかりません。二人は指差しすらせず、しかし揃って一方向を見つめていました。ファニーニャもそちらを見つめます。何もありません。やはり細い木々が雪に突き刺さり、葉の一つもつけていない枝に雪を抱えているだけです。いつもより高い位置にある白い地平線、その上を覆う薄っすらと青い空。青とは言っても雲がかかっているのでほとんど白です。昼間だ、ということしかファニーニャにはわかりません。
「すぐ近くみたい!」
アリアーナが駆け出しました。一直線に、白い地面の上に足跡を刻み込みながら駆けていきます。靴底に滑り止めがついているとはいえ、雪融け後のように走ってしまってはいつ転ぶかわかりません。「危ないよ!」とファニーニャは声をかけました。けれどアリアーナは止まることなくどこかへ走っていきます。リアーフィもまた、けれどアリアーナほど夢中な様子ではない速度で走り始めました。きゅ、きゅ、と雪を踏みしめる音と一緒に、帽子の耳についた編み紐の先が左右に揺れます。
「リアーフィ!」
「ファニーニャもおいでよ。聞こえる、すぐ近くだ」
言い、リアーフィは背を向けて走っていきます。小さな背中が二つ、ファニーニャを置いていきます。
置いて行かれてしまいます。
「……嫌だよ」
嫌だ。
私はまだ、二人と同じ、子供なんだから。
ファニーニャは走り始めました。滑って転んだとしても気にしないとばかりに、夏の追いかけっこのように走り始めました。膝ほどの高さの階段を上る時のように足を高く上げ、柔らかい土を蹴り出す時のようにかかとから着地し、つま先で蹴り出します。ぼふ、とふわふわの雪が踏まれ、潰される音。足の裏のつるりと滑る感覚。転ぶかも、と思いましたが無理やり指先に力を込めて走り続けました。
雪の上を歩く時は、足の裏全体を一度に着けて一度に離すようにしなければ滑って転んでしまいます。そんなことはわかっていますし、ファニーニャくらいになれば考えずともそういう歩き方ができるようになるものです。けれど、ファニーニャはかかとで着地してつま先で蹴り出す走り方で走り続けました。このまま走り続けなければいけない気がしたのです。二人と同じ走り方で、いち早く、二人に追いつかなければいけない気がしたのです。
二人と一緒に、転ぶだとかそんなことを抜きに、目の前にある何かへ向かって夢中で走らなければ、わたしは――本当の意味で大人になってしまう。
そんな気がしたのでした。
ファニーニャはすぐに二人に追いつきました。木々の間を抜けた先、やはり代わり映えのしない雪景色の中で、二人は横に並んで立っていました。ふわりとした白い息がせわしなく二人から立ち上っては、宙へ消えていきます。何かを見つけて、呆然と立ちすくんでいるようです。
「どうしたの?」
ファニーニャはようやく二人の横に並びました。そして、二人が見ている方向へと目をさまよわせます。木が並んでいるだけ――そう見えました。けれどすぐに、ファニーニャは二人が釘付けになっているものを見つけました。
そして。
「……あ」
小さく、呟きました。
***
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei