短編集
19. オフィーリアの歌物語 (1/1)
さあ、みんな、集まっておいで。
今日は聖なるヴァレンタイン様の吉日だというね。
一つ話をしようじゃないか。一国の乙女の悲しい恋物語さ。
え、なんだって? わざわざそんな話を聞きたくない?
それもそうか。なんたって誰が死んだわけでもない。誰かが狂歌を歌い上げたわけでもない。ならば誰も死ぬまいて。
それでは幸せな話を始めよう。一人の乙女の恋物語。
愛し人の元へ駆けた麗し乙女の物語さ。
幸せ乙女の気分を、是非とも皆様にお裾分け。
***
ある時ある場所ある時間、乙女は屋敷を飛び出した
ぼろきれ纏い、長髪をすっぽり隠してさ
美しい顔も泥に汚し、乙女は裸足で駆け出した
目指すは東、あのお方の屋敷
夜になって暗くなる、人も馬もいなくなる
そんな街中駆けだして、乙女はようやく立ち止まる
見上げる先に、豪華な屋敷、乙女のものよか大きな屋敷
乙女は窓を見上げてさ、小さな声でさえずった
「どうか、どうか、お気づきを」
時は既に零時を過ぎて、辺りは立派な闇の世界
乙女は窓辺に佇んで、今か今かと待ち続ける
やがて夜が明け日が差して、
ようやく窓の向こうに見えたのは、愛しい人の大きな影
乙女はその顔をほころばすのさ
窓の向こうで男は微笑む
「今日は聖なる吉日だ、おいで私の可愛い人」
窓を開け放って乙女を入れた
やがて娘は屋敷を出、元来た道を帰ってく
腹に一物抱えてさ
***
これで物語はおしまいだ。
え? どこが幸せ話かって?
そりゃあ全部、全部だよ。
娘は愛し人を手に入れた。
幸せは叶った、ただそれだけのことだろうさ。
ああ、一つ教えてあげよう。
二月十四日は聖ヴァレンタイン様の吉日、
その日の朝に男が初めて見た女のことを「まことの恋人」ヴァレンタインと呼ぶのだとか。
さてさて皆様、どうでしたかな?
「幸せ」の味は如何様で?
2015年02月14日作成
シェイクスピアの「ハムレット」が好きなんですが、何と言っても侮辱的な話を朗々と語ってしまうあたりですよね。現代では考えられない演出だぜ。この韻文はオフィーリアが劇中第4幕第5場で歌う狂歌をもとにしています。
オフィーリアはハムレットの恋人なんですが、ハムレットに父を殺されて狂気に狂い、子供返りのような状態になります。たどたどしく無邪気で、けれど言っていることは的確。その中で彼女は恋人が自分の知っている彼ではないことを嘆くのです。作中の登場人物達は揃って「父を殺されたから悲しみのあまり狂ったのだ」と言っているけれど、観客である私達は彼女の悲しみが恋人の死(もう彼は昔の彼じゃない…)であることを知っている、という矛盾も演劇ならでは。オフィーリアは初めから最後まで心の内の悲しみを誰にも正しく理解されないのです。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei