短編集
3. 不思議なお店 (1/1)


「おや、お珍しい」
 そう言って、カウンター向こうの女性は笑った。
「まさかあなたのような方がいらっしゃるとは」
 ぼくは立ち尽くしていた。ただ呆然と、お店のドアの取っ手を握りしめたまま、レトロで夕日色の店内にたたずむ店主を見上げていた。
 引いたドアがカランと鳴って、ガラス張りの店内に響いた。天井で空気をかき回す風車みたいなプロペラがぐるぐる回っていて、いくつもの鉢植えが鎖で吊るされている。 壁やテーブル、あらゆるものが木製なのか、木目ばかりだ。
「どうぞ中へ」
 出入口でたたずむぼくの前には二段だけ階段があって、その上から、店主はぼくを見下ろしていた。高級レストランのウェイトレスのようなきっちりとした服を着ているのが、店内の雰囲気に合わなくて滑稽だった。
「えっと……あの……?」
「そこだとお寒いでしょう。中へどうぞ」
 穏やかに店主が笑む。ぼくは頷いて、店の階段を登った。後ろでドアがカランと鳴った。
 店の奥に入ると、ここが喫茶店なのがわかった。カウンター、そしてその奥には酒類の並ぶ棚がある。喫茶店というよりはバーみたいだ。
 ぼくはカウンター席の一つに座った。店主がその向かいに立つ。
「何にいたしますか」
 言われてようやく、ぼくは自分の立場に気付いた。
「いえ、あの、ただ何か気になって来てみただけで、別に客じゃなくて」
「探し物ですか」
 くすりと笑って店主は言った。一瞬何を言っているのかわからなかった。
「……え?」
「探し物……というよりは探し猫、か」
「あ……」
 ぼくの困惑がわかったのか、店主も困ったように微笑む。
「いとこさんの我が儘にお付き合いとは、優しいお兄様ですね」
「えっと……」
 戸惑うばかりしかできないぼくに、店主さんはグラスを一つ置いてくれた。
「五年」
「え?」
「五年くらいでしょうか」
 突然の数字にぼくの頭は動かない。微笑む店主の向こうの棚のガラスの戸に、天井のプロペラがくるくる回っているのが映っていた。
「五年……?」
「猫は千尋崎公園の木の上にいます」
「え……」
「見つかると良いですね」
 店主はそう言って微笑んで、店の奥へと消えた。店内に一人残されたぼくは、なんとなくグラスに口をつける。爽やかな柑橘類の香りが鼻に抜けた。
 ぼくが探している猫というのは、年下のいとこが飼っていた雑種の茶色いやつだ。数日前にいとこがどこからか拾ってきて、飼うと言い始めた。それが突然いなくなって、いとこが泣き止まない。猫としてはいとこを飼い主だなんて思っていないのだろうが、そんなことを説明しても幼いいとこはわかってくれない。
 チラシでも適当に配って、いとこが諦めるのを待つつもりだった。
「千尋崎公園……」
 ふと呟く。
 ――カラン。
 ベルの音にはっとすると、ぼくは目を見開いた。
 出入口のドアの取っ手を掴み、外に出ようとするぼくに気が付く。瞬間移動のように、ぼくはカウンターからドアに移動していた。
 来たときと同じだ。来たときも、このお店をふと見かけて店の名前を言ってみたら、すでにドアを開けていた。
 奇妙というか、不思議だった。怖くはなかった。
 ぼくは店の外に出た。夏終わりの風が冷たかった。なんとなく歩きたくて、ぼくは店から離れていった。

***

 あの日以来、あの店を見かけることはなかった。同じ道を何度通っても、それらしい店を見つけることができなかった。ただ、あのあと公園へ行ったら猫が木の上にいて、それを下ろすのに近くにいたおじいさんと協力した。そのおじいさんとはだいぶ仲良くなった。彼が、母と縁を切っていた祖父だと知ったのはだいぶ後だ。
 ぼくはあの店があったあたりの道を走っていた。祖父の二回忌に向かっていた。ただ、困ったことに仕事の資料が一部行方不明になっていて、それの後処理に追われて二回忌に行けそうになかった。
 ああ、どこに行ったんだろ。
 あの日と同じセリフを呟いた。そしてふと足を止める。
 視界の端に見えた店に目を奪われた。ガラス張り。レトロなそれが、道の片隅にたたずんでいる。木製の看板が太陽光を浴びていた。
「……5W1Hにお答えします。あなたの隣の……」
 あの日のように店名を呟いた瞬間、
 ――カラン。
「おや、こんにちは」
 ぼくはまたドアの取っ手を握りしめて、店主に微笑みを向けられていた。


▽解説

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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei