短編集
8. とんびの空 (1/1)
こんにちは。ぼくはとんび。空をくるりと飛んでいる大きな鳥を見たことがあるでしょう? 風に乗って、翼を大きく広げて、まるで空にぽっかり浮かんでいるみたいに見えるんだ。かっこいいでしょう?
でもね、ぼくはかっこよくない。他のとんびはみんな、仲良しの風に乗せてもらって、自由に飛んでいくのに、ぼくはどの風とも仲良くないから、うまく飛べないんだ。優しそうな風に頼んでも、嫌だって言われちゃう。汚い奴なんか乗せられないって。
ぼくが本当に汚いんじゃないよ。みんなの体は上品なこげ茶色だけど、ぼくの体は泥んこみたいな染みのある薄い茶色。だからみんなぼくを乗せてくれない。乗せてくれる風がいないから、ぼくは一人で飛ばなきゃいけなくなる。でも、ぼくは不器用だから、羽をどんなにばたばたさせても風に乗った時と同じ高さには行けないだろうし、羽ばたきを止めた瞬間にまっ逆さまなんだろう。そんな危ないことはしたくないから、結局ぼくはいつもひとりぼっち。
ぼくは自分の体の色が大嫌いだ。
***
今日もぼくは一人草むらで虫を探していた。本当はもっとおいしいものを食べたいけど、空から探さなきゃ見つけられない。空から探そうにも、風たちはぼくを汚い汚いって嫌がるから、もう怖くて声がかけられない。
あーあ、空を飛べたらなあ。かっこよく空を飛ぶ仲間たちを見上げて、はぁ……ってため息をついた。
「きゃあ――っ!」
きぃんとする叫び声が聞こえた。どこ? あっちかな、草むらの奥のごそごそ音がする方……
「助けて!」
ごそごそ動く草の裏から、さっきとおんなじ声が聞こえた。
「あの……」
草の向こうをのぞいてみると、うさぎの女の子がいじわるで有名なカラスにつつかれていた。カラスは耳に着けた飾りが欲しいみたい。キラキラした、ピンクの丸いやつだ。
「あの……」
いじわるなカラスがぎらぎらした目でぼくの方を見た。
「何だよ、とんびが邪魔しやがって」
「痛がってるじゃないか。やめろよ」
「やめるわけないだろ」
うさぎの耳をまたつついた。うさぎの子がまた悲鳴を上げた。ふわふわな耳が赤くなっている。痛そうだ。
「ねえってば」
「うるせえよ泥色とんび」
カラスがさらりと嫌なことを言った。何だかむっとして、でもちょっと怖くて。
何か言い返したりカラスの邪魔をしたりして、これ以上嫌なこと言われたらどうしよう。
でも、うさぎの女の子は痛そうだし、カラスはつつくのをやめないし。
どうしよう。
ちょっと考えて、思い切って、ぼくはカラスの後ろから背中をつついた。カラスがびょんと飛び上がった。
「いってぇ!」
羽をばたばたさせている背中をまたつつく。またびょんと飛び上がって、カラスはひぃひぃ言いながら飛んで逃げていった。ぼくに向かって何か言ってたけど、よく聞こえなかった。
カラスを見送った後、ぼくはうさぎを見た。かわいいふわふわのうさぎだ。ピンクの耳飾りがすごく似合っている。
「ありがとう」
目元を拭いながらうさぎが言った。どきどきして、ぼくは頭を横にぶんぶん振った。
「ううん。耳、大丈夫?」
「痛い。だけどたぶん大丈夫」
あんまり痛そうだったから、ぼくは薬草を摘んできて、うさぎの耳を手当てした。うさぎは赤くなった目を細めて笑ってくれた。
「ありがとう。かっこいいね」
「ううん、全然。だってこんな色してるし」
見せるように翼を広げた。自分が見るだけで気持ち悪くなる。なんて汚い色だろう。
うさぎはきょとんとしていた。
「どこがかっこわるいの?」
「え? 全部、全部だよ! この翼を見てよ。まるで泥んこみたい!」
するとうさぎは……
「ふふっ」
笑って言った。
「そんなのどうでもいいじゃない」
びっくりして、ぼくは間抜けな魚みたいに口をぱくぱくした。
「え?」
「だってあなたはわたしを助けてくれたのよ? それ以上のかっこよさがあるの?」
「だって、汚いから空も飛べないんだよ? 飛べないとんびなんてかっこわるい……」
「あなたばかね」
すぱっとうさぎが言った。
「見た目だけがいいとんびより勇敢なとんびの方が、わたしは好きよ」
「勇敢? ぼくが?」
「だってわたしを助けてくれたじゃない。普通のとんびは見て見ぬふりよ。うさぎがカラスに襲われようが、とんびには何の関わりもないから」
さらりと言ったうさぎを、ぼくはまじまじと見つめた。
かっこいい? ぼくが?
「そんなことないよ」
「かっこいいわよ。すごく。惚れちゃう」
少しふざけて、うさぎがほっぺを両手ではさむ。おかしくなって、ぼくは笑った。
ふと空を見上げると、仲間たちが翼を広げて飛んでいた。あの近さなら、うさぎは見えていただろう。見て見ぬふり、をしていたのか。
「勇敢、か……」
「そうよ。だから空も飛べるに違いないわ。みんな見た目しか見ないのは、あなたが見た目しか見せてないからよ。あなたのその勇敢さをみんなに見せればいいの。ただそれだけよ」
うさぎの言葉はさらりとしていて、でも難しいことだった。勇敢さを見せる? 一体何をすれば良いんだろう。
空をもう一度見上げる。仲間たちがのびのびと翼を広げている。
勇敢さを見せる、か。
ちょっと考えて、ぼくは歩き出した。
***
ぼくはとことこ歩いて草むらを離れた。風がひゅるひゅる吹いてきた。
「やあ泥んこくん。今日も虫集めかい?」
「えっと、あの……」
「乗せてやらないよ。君みたいな汚いとんびなんか」
「あ、あのね」
ぼくは一生懸命言った。草むらの奥でうさぎがぼくを見ているのがわかった。
「乗せてくれなくてもいいんだけど、そばを飛んでいいかな?」
「は?」
「自分だけで飛ぶ練習がしたいんだ」
ひゅるひゅると笑って、風はぼくの周りをぐるぐる回った。
「はははっ! とんびが自分だけで風と並んで飛べるものか! 勝手にしろ!」
風が空へと吹き上がったのに合わせて、ぼくは羽ばたいた。風の隣を一生懸命飛んだ。だんだん風に追い付けなくなって、翼が疲れてきて、飛べなくなって落ちそうだった。もう限界だ。腕がもげちゃう。
それでも頑張って、どうにかみんなが飛んでいる中に混じった。かすれた視界の中で、みんな驚いた顔でぼくを見ている。風に乗らないでこの高さまで来たのか? そう言いたげだった。そう! 風に乗らないでここまで来れたんだ! そう叫びたかった。でも、翼が全く動かなくなった。本当に限界だった。耳元で風が悲鳴をひゅるうっと上げた。ぼくは、そっと目を閉じた。
ああ、落ちていく。
動かない翼をたたんで、ぼくは地面へと一直線に落ちていった。
このまま、地面にぶつかって死んじゃうのかな。ふと思った。それでも良いや、とも思った。だって、空を飛べたんだもの。もっと、かっこよく飛びたかったけど、まあしょうがないよね。
そんな風に思っていたぼくの体を、風が包んだ。ぼくの背中を誰かがつかんだ。食い込む爪の痛さに目が覚める。はっと目を開けた。そして、目にいっぱいの光景が映り込んだ。
目の前に景色が広がっていた。いつもの景色じゃない。木が、下に見える。木よりも上に、浮かんでいる。
空を、飛んでいた。風がぼくを包んでいる。背中を仲間の誰かが掴んでいる。
背中は痛かった。でも、なんて良い気持ちだろうってぼくは思った。だって、いつもまずい虫を探していた地面が、こんなにも広いなんて、知らなかったんだ。こんなにも木が高いなんて知らなかった。
それに、風に乗るってことがこんなにも気持ちいいなんて、知らなかったんだ。
ぼくは視界いっぱいの地面を見渡した。そして、しばらくして、見知った草むらが近付いてくるのに気がついた。
ぼくはいつも餌を探していた草むらに、ゆっくりと降ろされた。風やとんびが集まってくる。
「びっくりしたぜ。ったく、無理しやがって」
風が息を切らしながら言った。そばにいたとんびが翼をばたばたと振り回した。
「風に乗らなくてもあんなに飛べるんだな。知らなかった」
「いつも風に乗ってたからね。あたしたち、あんな力があるんだなって、初めて知ったわ」
「そうそう。お前、すごいのな。つか、よく風なしに飛ぼうと思ったなあ」
みんな口々に言う。話しかけてくるみんなは、ぼくに悪口は言わなくて、ただただ感心してくれた。初めての経験で戸惑っているぼくは目をきょろきょろさせた。
風がひゅるると笑う。
「あんなにめちゃくちゃなやつだったとはな。落ちて死ぬとか、思わなかったのか?」
「えっと……」
風がぼくに話しかけてくれた。信じられない。汚いって、言われなかった……!
呆然とするぼくに、風はひゅるひゅるおかしそうに笑った。
「何あほ面してんだよ」
「う、ううん、えっと、その……ありがとう」
ぼくがやっと言った言葉に、風たちやとんびたちはびっくりした顔をして、それからぎゃはぎゃは笑い始めた。何で笑ってるんだろう。よくわからなかったけど、とりあえず、風たちや仲間たちと普通の話ができるのが嬉しかったから、自然と顔がにやけた。
「……夢みたい」
「夢だったらどんなに良いことか。お前が落ちていった時、すっごくはらはらしたんだぞ」
「ほんとほんと。死んじゃうんじゃないかと思って、怖かったんだから!」
「そう、だったんだ……」
「そうだったんだから!」
みんなが笑った。つられてぼくも笑った。
草むらからうさぎの耳がちょこんと出ていた。耳はぴょいっと動いて、飛ぶように走り去っていった。
2014年06月03日作成
童話風のが書いてみたかった。とんびが主人公なのは私がとんび好きだがらです。かっこいい。これは確か宮沢賢治の「よだかの星」をちょっとイメージしていた気がする。よだかは空に居場所ができたけど、とんびは地上に居場所ができました。
Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.
(c) 2014 Kei