短編集 -五月の雪
2. たまには非日常を (1/1)


 昼間だというのに、外は寒かった。時折冷たい風が吹き付けてくる。鼻先までマフラーで覆って、は大きく嘆息した。ふわっと眼鏡が白く曇る。
「……寒い」
 くぐもった声で呟き、高校の校門前で体を抱いた。紺のダッフルコートがかじかんだ指には硬い。背後の校舎からぞくぞくと生徒が出てきて、寒いと連呼しながら薫の横を通っていった。今日は風が強い日で、それでも何を思ったのか学ランにマフラーのみで帰路につく生徒はいるもので。学校の外は彼らの後悔の悲鳴とそれ以外の人の文句であふれていた。しかし彼らの顔には暗いものはない。
「明日から冬休み、か……」
 はあ、とつまらなそうに呟けば、薫の眼鏡はまた曇った。
「お、ま、たぁ~」
 薫の眼鏡と真逆の、酷く晴れた声が校舎側からかかる。振り返れば、学ランにマフラーのみの男子生徒が薫へと駆け寄ってきていた。
「おっまたっせ薫! しっかしさっむいな!」
彰人……その格好で言うなよ」
「大丈夫だと思ったんだよ、今朝のおれは」
 恨むぜ、と他人事のように言い、彰人は薫の肩をバシンと叩く。薫の小柄な体は簡単に体勢をくずした。眼鏡が鼻先までずり落ちる。
「うわっ……!」
「よーし、今日はどっか行こうぜ!」
「はあっ?」
「だって今日はもう暇なんだろ? 薫」
 眼鏡を押し上げた薫に、全てを知っているような口振りで彰人が言う。確かに、今日はいつもと違って放課後の教室に長居できない。というのも、先生方の職員会議、そしてその後に忘年会があり、先生の誰もが学校に残れないせいだ。まさか高校でもこんな目に遭うとは思わなかった。
「小学中学では職員会議のため居残り厳禁っていうのはあったけど……」
「な。だからさ、薫暇だろ? たまには勉強ばっかじゃなくて、ゲーセンとか行ってぱーっとさ」
「図書館空いてるかな」
 彰人の言葉を完全に無視して薫は思案顔をする。確か市立図書館は夕方五時まで開いていたはずだ。昼に学校が終わったというのに、この時間を有効に使わないわけにはいかない。
真顔で考え始めた薫に、彰人は顔をひきつらせる。
「……さすが薫、全国レベルの秀才……考え方変だろ」
「変?」
「ああ!」
 力強く言い、彰人は拳をグッと胸の前に掲げた。
「いつもより長い放課後! これは神が我々に存分に遊べと言っているに違いない!」
「随分な神様だな」
「遊びは子供の仕事って言うじゃんか!」
「学生は勉強が仕事だって言われたばかりだけど」
「……そいや全校集会で校長だかが言ってたな……」
 握りしめた拳を無意識にか緩ませ、彰人は言い訳を探す子供のように視線をさ迷わせた。そんな友人に、薫は大きくため息をつく。
「……僕は図書館に行くよ。じゃあ」
「いやいやいやいや」
 歩き始めた薫の腕をがっしと掴み、彰人がぶんぶんと首を振る。
「何でそうなるんだよ」
「何でって」
「誘ってる奴がいるのにそれを無視するこたぁないだろ」
「興味がない行くつもりがないつまらない」
「つまらっ……!」
 あっさり返した薫に、彰人は顔をひきつらせ、がっくりと項垂れ、天を仰ぎ、俯いて額に手を当てた。
「……ああっ、もう!」
 我慢ならないとばかりに声を上げる。
「はい、連行!」
 ぐいっと薫の腕を引っ張り歩き出す。
「へぎゃ!」
 突然のことに変な声が出た。パッと顔を赤らめた薫に対し、彰人は気付いた風もなくずかずかと先を行く。
「ったく、ホントお前ってさあ」
「な、何だよ」
「……良いわ、やっぱ。黙って連行連行!」
 学校周辺の住宅街の中を、強引に引っ張られていく。向けられる背中はふざけた口ぶりとは違って、少し苛立っているようだった。
 なぜだろう。
 薫には、彰人の心情が理解できない。ただ、彼がなぜか他人である自分を気にしていることしかわからないのだ。
 いつもそうだ。いつも、彼は薫を連れ出そうとする。薫の知らない世界を見せようとする。
 これは彼なりの優しさなのか。そうだとしたら変わっているなと思う。他人にここまで深入りしようとする彰人の行動は、薫には理解できない。
「お前さ」
 ずかずかと歩きながら彰人が言う。
「もうちょい楽しめよ」
「……は?」
「人生」
 じんせい、とはっきり発音されたその言葉は、薫の耳をするりと通る。
 ――人生。
「いっつも勉強、勉強って、そりゃ勉強は大事だけどさ、もっと体動かしてあちこち行ってあれやこれやしないと。つまんねえよ」
「僕は十分満足してる」
「おれが満足できてねえんだよ」
 苛立ちのこもった声が冷たい風に掻き消されていく。
「嫌なんだよ、おれが。薫が教室の机に一人座ってずっとカリカリ勉強してるのが」
「……僕は十分」
「満足してるんだろうけど、こう、なんつーか、やっぱ我慢ならないんだわ、おれが」
 だから、と彰人は声音を明らかに変えて肩越しに振り返る。
「デートしよって言ってんの、カオルチャン?」
「……気持ち悪い」
「うげ、酷っ! 人に向かって言うなよ! アキチャン傷ついちゃうわあ」
「気持ち悪い」
「に、二回も言うなよ……けっこう傷つくからな、薫の真顔でマジな『気持ち悪い』」
「気持ち悪い」
「……駄目だもう俺戦闘不能」
 足を止め、がっくりと項垂れた。足を止めた瞬間、風が強く体を襲ってくる。身震いしながら、大袈裟だな、と薫が声をかければ、もう赤色点滅だわ、と薫のわからない言葉が返ってきた。信号機のことかと思った薫にゲームの話だと返し、彰人はくるりと振り返る。背の低い薫を見下ろしてきた。
「あのさ、薫」
 いやに真剣な表情で彰人が言う。
「おれ、うざい?」
「うん」
 薫の簡潔な答えに、みるみるうちに彰人の顔が泣き顔に変わっていく。
「……そこ真面目に答える? 嘘でも違うって言ってくれるもんでしょ? 泣いちゃうよ? 俺泣いちゃうよ?」
「嘘を言って欲しかったわけ」
「……それも辛い」
「だろうね。まあ」
 ふと言葉を切る。
「……彰人に嘘を言ったことは、今までないけど」
 尻すぼみになる薫の声に、涙目になりかけていた彰人が、え、と呟く。それを聞かなかった振りをして、薫は淡々と続けた。
「行くなら早くしてよ。僕は暇じゃないし、寒いのは嫌いだ」
 呆然としていた彰人の表情が、徐々に薫の言葉を理解していったらしい、漫画のように劇的に変化していく。
「……か、おるうっ」
「うん? ……おわっ!」
 パアッと顔を輝かせた彰人が再び薫の腕を掴んで歩き出す。
「よーっし、じゃあゲーセン行って、マックで飯食って、ゲーセン行って」
「は、はあっ?」
「たっのしもうぜぇ放課後ぉ!」
 うえーい、などと奇妙な声を上げる彰人に、他の歩行者の視線が集まる。腕を引かれる薫は顔を赤らめ、しかしその腕を振り払わずに、ただ彰人についていく。どうやら彼は薫の言葉を都合よく解釈したらしい。薫としては、寒いし時間が無駄に過ぎるのがもったいないから早く室内に入りたかっただけなのだが。
 でも、こんな放課後も悪くないな。そう思う自分に呆れ、薫は楽しげに歩く彰人の背中を見つめ、小さくため息をついた。


解説

2014年12月28日作成
 いつもと違う放課後を、君と。
 2作目。高校時代の冬休みの始まりを思い出しながら書いた気がする。冬休み直前の終業式はね、先生方がどことなく嬉しそうなんですよね。飲み会があるから。そうじゃない人ももちろんいたけど、いつにも増して「早く帰れ帰れ!」って急かされた気がします。
 当時のひとことに「眼鏡っ子薫と道化師彰人は書いてて楽しい。」って書いてますね。うん、楽しい。わかる。しっかし地の文下手だな…苦笑いものですね。


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Why, let the strucken deer go weep,
The hart ungallèd play:
For some must watch, while some must sleep;
Thus runs the world away.


(c) 2014 Kei